マイクのお役立ち情報

日々のニュースの中から関心の深いものを選別しお届けします。

シヤ・コリシ(南アフリカ主将)のWiki経歴と「生い立ち」と「語録」に感動する!

スポンサーリンク

こんにちは!今日もご訪問いただきありがとうございます。



f:id:oyakudachi395:20191104122232p:plain




ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会は10月2日、決勝があり、南アフリカ(世界3位)が王座を獲得した。

イングランド(同1位)と横浜国際総合競技場横浜市)で対決し、32-12で勝利した。


南アフリカの優勝は2007年以来、3大会ぶり3回目で、最多優勝回数でニュージーランドに並んだ。

決勝の勝率10割は南アフリカだけという記録も達成した。


人種差別問題を抱えていた南アフリカ社会で闘い、黒人、白人、さまざまな人種がいる
レインボーネーションを一つにしたネルソン・マンデラは、1995年の自国開催

ラグビーワールドカップで優勝の歓喜に包まれたスタジアムで、フランソワ・ピナール
主将と同じ背番号6がついた緑色のジャージーを着て、笑顔で誇らしげに大観衆の祝福に応えていた。


閉会式で南アフリカのシヤ・コリシ主将が優勝トロフィー「ウェブ・エリス・カップ」を
両手で高々と掲げると、チームとサポーターは歓喜に沸いた。

試合後のロッカールームでは、表彰気で受け取ったばかりの優勝トロフィー「ウェブ・エリス・カップ」にビールを入れ、派手に祝杯を挙げた。

実際のシーンを大会が動画付きで公開し、「究極の一杯ですね」「贅沢な使い方」などと反響を呼んだ。

ここでは、南アフリカチームの主将・シア・コシリのWiki経歴と「生い立ち」「語録」に迫ってみました。


シヤ・コリシのwiki風プロフ


f:id:oyakudachi395:20191104122319p:plain


◆ 名前:シヤ・コリシ(Siya Kolisi)

◆ 生年月日:1991年6月16日(28歳)

◆ 出身地:ズワイデ, ポート・エリザベス, 南アフリカ共和国 

◆ 身長:188㎝

◆ 学歴:グレー高等学校

◆ 職業:南アフリカラグビー選手。2013年より南アフリカ代表

◆ ポジション:ルーズフォワード

◆ 家族:2016年に白人の女性と結婚し、一男一女をもうけた。。

◆ 在籍チーム:ストーマーズ



シヤ・コリシの経歴

アパルトヘイト(人種隔離政策)が廃止になる1991年に、ポートエリザベス近くの非白人居住区にある貧困家庭に生まれた。


・当時、母は16歳、父は18歳で、若い両親はわが子を育てられず、一緒に暮らした祖母が育ててくれた。しかし、愛情を注いでもらったが、いつも空腹だった。小学校の1年間の授業料50ランド(約350円)が払えないほど貧しかった。


・今日の自分があるのはラグビーのおかげだと感謝する。


・幼少期、父と過ごすことはほとんどなかったが、シヤはひとつ、重要なものを受け継いだ。それは、ラグビー愛だ。
父も祖父もラグビーが大好きで、コリシ少年は8歳のころから楕円球に夢中になった。




・12歳のころに出場した地元の大会で光り、東ケープ州の名門、グレイハイスクールから奨学金のオファーをもらい、旧居住区外の学校へ移り貧困地区をあとにした。


公用語が11言語もある南アフリカで、コーサ語を話していた黒人のコリシはハイスクール入学当初、英語ができず言葉の壁に苦労したが、友だちが助けてくれた。

・コミュニケーション力をつけていき、ラグビーの才能も着実に伸ばし、18歳でプロへの扉を開けてウェスタン・プロヴィンスのアカデミーに入る。


・20歳のときに念願のストーマーズでスーパーラグビーデビュー。


・その後は、故郷へ恩返しのために衣服やお金を送る支援を続けている。まさに、映画のようなサクセスストーリーを実現したのだ。


・22歳の誕生日を迎える前日にスプリングボックスで初キャップを獲得した。


ストーマーズでは、オープンサイドに集中させてもらえるようになり、豊富な運動量で背番号6を勝ち取った。南アでは、優秀なオープンサイドフランカーにその数字を与える。


・南ア代表「スプリングボックス」の第61代主将、シヤ・コリシです。


・白人ナショナリズムの象徴といわれたスプリングボックスの127年の歴史で、初めての黒人キャプテンである。


コリシの恩返しと語録は?


尊敬する偉大な故マンデラは、スポーツには「世界を変える力」、「刺激する力」、「人々を結びつける力」があると言った。

貧困から、誇り高き南アラグビーの大将になったコリシは

「私は黒人の子どもたちだけでなく、あらゆる人種の人々を鼓舞したい。恩返しがしたい。すべての南ア人のためにプレーする。我々は想像以上に大きなものを代表している」

と自覚するのです。

2016年に白人の女性と結婚し、一男一女の父だ。

f:id:oyakudachi395:20191104122351p:plain


コリシは2009年に母が亡くなったあと、孤児院や里親のもとで育ててもらっていた異父きょうだいの弟と妹を探し、法的手続きを経て養子にし、家族として一緒に暮らしている。

コリシは自分の家族を持ちたいと常に思っていたという。

それは、貧しく父親がいなかった子ども時代に根付いた最初の願望だ。

「私は彼らのヒーローになりたい」

ワールドカップでコリシがウェブ・エリス・カップを掲げることがあれば、南アフリカだけでなく世界中の人々の胸を熱くするヒーローになるだろう。

コリシ主将は「僕らが試合する時は、グラウンドで戦う以上の意味を持っている。(愛称)『スプリングボクス』としての役割は大きい」と強調する。


また、コリシは「違った人種でも、一つの目的に向かって団結できることを示せた」と胸を張った。


南アフリカラグビーとラシー・エラスマス監督は?


同国では「ラグビーが宗教」といわれるほど人気がある。

しかし、ラグビーはかつて「裕福な白人スポーツ」とされた。アパルトヘイトもあり、黒人が代表に選ばれることは長らくなかった。

国際社会から制裁を受け、W杯は第1回の87年大会から2大会続けて除外された。

歴史が変わったのが、自国開催した95年大会での初優勝。

同国初の黒人大統領となった故ネルソン・マンデラ氏が優勝トロフィー「ウェブ・エリス・カップ」をチームに渡した場面は、人種融和の象徴となった
15年大会の1次リーグで格下の日本に金星を許すと、国内では「選ばれるべき黒人選手がいなかったから負けた」などと不満が噴出した。

政府の意向に従い、ラグビー協会は今大会の非白人選手の割合を5割まで上げる目標を掲げた。最終的には、過去最多の全31人中11人が代表入りした。


ラシー・エラスマス監督は、人口の約9割が非白人(黒人・カラードなど)という国で、政府の絶え間ないプレッシャーを受けているが、肌の色でコリシを主将に選んだのではないと断言する。

「私はシヤがすばらしいプレーヤーであり、優秀なリーダーだと知っていた。彼は謙虚で、仲間から尊敬される勤勉な男だ。派手ではないプレーも黙々とこなす彼を私は好きだ」

コリシはラグビー選手として優秀だが、同時に人格者でもあったといわれているのです。

エラスムスHCだ。師弟関係にあるふたりの絆は、固くて深いのも事実なのです。

エラスムスHCは当時を思い出しながらこう語った。

「(小さな頃のコリシは)食べ物がなく、学校にも行けず、履く靴もなかった。だが、今は南アフリカ代表のキャプテンだ。そして彼はチームを率いて、優勝カップを抱くことができた。1年半前に監督を引き継いだ時、W杯まで618日だった。それに合わせて(コリシと)勝利のプランを立てた」

栄冠に輝いたその背景には、黒人や非白人という人種の壁を越え、

南アフリカ全国民のために優勝したい」

と常々話していた、指揮官と主将の強固な信頼関係があった。


まとめ

いかがでしたか?

南アフリカと言えば「アパルトヘイト」で人種差別の歴史がみじめです。

ラグビーで勝つことで人種が一つになるとは、「こんな意義深い」ことはにでしょう!

国歌輪挙げて応援しており、ラグビーで勝つことそれ以上の意義がある!」との言葉が印象的です。

主将としての「シヤ・コリシ」の喜びようが伝わってきますね!


関連記事は以下にもあります。



⇒【ラグビーW杯】ビール不足を心配?なぜ?「ノーサイド」の意味は?の記事はコチラ

⇒ラグビールール・「キックの目的と効用が複雑」を分かりやすく解説! の記事はコチラ



最後までお読みいただきありがとうございます。