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野村克也氏の死因はなにか?車椅子が速すぎる?沙知代さんの死で“憔悴”しすぎか?

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元ヤクルト監督で野球評論家の野村克也さんが死去したことが11日、わかった。

84歳だった。警視庁によると、この日未明に都内の自宅から病院に搬送され、その後死亡が確認された。

若すぎるとの印象はぬぐい切れません?

車椅子生活が、痛々しいく、佐知代さんの亡き後の一人生活も同情に値しますが、“死因”についての報道がありません?

ここでは、野村克也氏のWiki経歴と“死因”に迫ってみました。



野村克也さんさんのWiki経歴

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◆ 名前:野村克也(のむらかつや)
 
◆ 愛称:ノムさん、ムース、

◆ 生年月日:1935年6月29日(84歳没)

◆ 出身地:京都府竹野郡網野町

◆ 血液型:B型

◆ 身長:175㎝

◆ 学歴:京都府立峰山高校

◆ 職業:元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。 南海 、ヤクルト、阪神東北楽天の監督を歴任し、現在は野球解説者・野球評論家・タレント。日本体育大学客員教授も務める。

◆ 事務所:エフエンタープライズ

野村克也さんの経歴

・実家の家業は食料品店。日中戦争に出陣した父・要市は3歳のときに満州にて戦死

・看護師だった母・ふみは病弱で野村が小学校2年生と3年生のときに二度もガンを患い、一家は極貧といっても過言ではない状況に陥った。

・貧乏な生活から脱却したいとの思いから、将来は歌手になろうと中学校のコーラス部に所属したり、俳優になろうと映画館通いをしたりしていたが、当時プロ野球の大スターであった赤バット川上哲治青バット大下弘への憧れや、出身地にほど近い兵庫県出石郡出石町にて名を馳せていた大友工投手(後に巨人等で活躍)の影響もあり、次第に野球選手を志すようになる。

・1954年、南海に契約金0のテスト生として入団

・3年目の1956年、ハワイ春季キャンプで一軍に抜擢され、以降正捕手に定着した。

・選手としては、史上2人目の三冠王達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)

通算記録は2位が多い。

選手出場試合数歴代2位、
監督出場試合数歴代3位、
通算本塁打数歴代2位、
通算安打数歴代2位、
通算打点数歴代2位、
通算打席数1位(11970打席)、
通算打数1位(10472打数)、
通算犠飛数歴代1位(113犠打)、
通算併殺打1位(378打)、

ベストナイン19回受賞で1位などの記録を持つ。

・また、監督としても「平成」(1989年1月8日~2019年4月30日)期間の最多勝利記録(1,053勝)を保持する。

・ 1963年に記録した52本塁打は後に1985年に落合博満も記録するが、その落合と並んで日本出身の日本国籍選手における1シーズン最多本塁打記録である。

・二度結婚しており、2人目の配偶者が野村沙知代(2017年死別)である。

・沙知代との間に息子・野村克則、その息子、すなわち野村の孫は星槎国際高等学校湘南学習センターの野球部に所属している野村忠克。

・1人目の配偶者との間にも息子が1人いる。継子には団野村ケニー野村がいる。

野村克也氏の車いす生活は?

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野村克也氏は、車椅子の理由は、足腰に衰えが見られ、移動の際に体への負担が大きいということで、使用されているそうです。

このまま表舞台から姿を消すのかな?と思われましたが、今年2019年の7月に行われたOB戦にて、車椅子を使わずそのまま打席に立って見せました。

身体の衰えはあるものの、TV番組での野球解説では、選手や采配に対して、数多く物申しています。

野球を見る目は衰えておらず、まだまだ解説者としての力は衰え知らずといった感じですね!




野村克也氏の死因は?

野村克也さんは、愛妻・沙知代さんがなくなってかなり“虚無感”に襲われたそうです。


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帰ると必ず起きて待っていてくれた愛妻がなくなり、

「誰もいない家に帰るのは憂鬱だった!」

と、その寂しさを話しておりました。

野村克也氏は、2010年に「解離性大動脈瘤」で入院をし、2014年に再発繰り返しております。

2017年に愛妻・沙知代さんがなくなり、一気に憔悴、見た目にも痩せていかにも年老いたという感じになりました。

まだ80歳の初めにしては、早すぎる感じです。

表舞台に立つことはほとんどなくなりましたが、根が島監督と比較しても“衰えが速い”感じがします。

死因は発表されておりませんが、


① 愛妻・佐知代さんの亡き後の精神的衝撃

② 一人生活の精神的“寂しさ”

③ 「解離性大動脈瘤」の繰り返しで体力衰退

④ 「解離性大動脈瘤」に副作用(日常生活の注意点の欠陥)


等々が考えられ、野村氏はお酒は一切口にされないのですが、一口で言えば

「一人生活での不自由さと合併症」

を引き起こして亡くなったと思われます。

野村克也「名言集」が評判?(2月11日 追記)


野村克也氏の活躍は上述した通りで、輝かしいものがあります。

しかし、、当時の日本のプロ野球を取り巻く世情は人気面・知名度いずれも巨人を中心としたセ・リーグ偏重傾向が現在より圧倒的に高かったため、同時期にセ・リーグで活躍していた巨人の長嶋茂雄王貞治に比べて世間からの注目は少なく、今に伝えられる野村の打者としての評価も目立たないものだったのです。

現役時代には、元巨人の長嶋茂雄氏、王貞治氏と自らを比較し「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」とたとえた。また、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」「生涯一捕手」など多くの名言を残した。

その背景には、

① 「試合展開や相手選手の心理を読む能力に長けていた」

② 「捕手としての駆け引きに長けていた」

③ 著書を多く著わす能力

等によることが分かっております。

野村克也名言集」は以下にあります。

野球人のためだけではなく、一般人にも有益な言葉が多いのに驚きます。


meigen-ijin.com


twitter.com




まとめ

いかがでしたか?

また一人昭和の“名選手”が去ってしまいました。

野村克也氏は、話術も巧みで、解説者としても、楽しませてくれました。

再婚をしても“誰にも憎まれず”堂々としていたのは記憶から消えませんね(笑)

ご冥福を祈ります!


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